【記者魂28】「でもしか教師の時代」ではない

まず自分のことから記すことにする。私の今日まで社会人としての履歴は、マスコミに四半世紀身を置いた後、昨年の4月に政治の世界に転身、マスコミと政治家、2つの職種を経験してきた。いずれの仕事も好きで希望して就いた仕事なので、職業に恵まれてきたと言っていい。

記者という仕事は、今でも自分に向いていたのかいなかったのか、正直わからないものの、少なくとも好きだった。今でも、ブログにおいてコラム形式で書いたり、メディアに寄稿したりするのは、記者を嫌で辞めた訳ではないことと関係する。政治についても、格好良く言えば世のために役立つことをしたい・・・今の状況に我慢ならないが、記者として批判するだけでは何も変わらない・・・といった思いから、自分で飛び込んだのだ。

自分でやりたかった・・・そう思って就いた職業なので、いかにつらいことがあっても、プロ意識だけは持ち続けよう!・・・記者、政治家を通じて、それを肝に銘じて職務を遂行する姿勢を持ち続けている。

なぜ、こんなことを改めて記したかというと、本来、プロ意識が強く求められる公の職種(多くの場合、そうであると思う)について、疑問に思うことがあったからだ。

それは、決算審査特別委員会を傍聴していた時のこと。病院局との質疑で、医師や看護師の長時間労働について、果たして、その議論の進め方で良いのか・・・と思ったのである。

もちろん、長時間労働によって過労死が懸念される実態であれば、是正する必要があるだろう。いかに、好きで希望して医師、看護師(ほとんどがそうであるという前提で記す)という職業を選んでも、過酷な勤務にも限りがある。だからと言って、奴隷のように“こき使われている”というようにも思えないのだ。

誤解なきよう先に記すが、好きでやっているのだから厳しい労働条件を受け入れよ・・・というつもりはさらさらない。仕事について、初めに「生活手段のために行う労働」なのか「職責を果たす意思で行う労働」なのか、議論を進めるにあって、前者に力点が重く置かれているように思われ、自分の心の中に違和感が生じるのである。

むろん、どんな職業でも、生活手段となっていることは否めないものの、公的な職務というのは職責を果たすことが第一に求められるのではないか。そうした前提を抜きに、長時間労働を議論するのはどうかと思う。

たとえば、医師不足について、議論が「1人あたりの労働量が多い」が先に来て「医師が少なく患者が不便を感じる」が後に来るような進め方がされているように感じることが少なくない。県立病院において医師が増えれば、労働量が減る一方、不便も解消される・・・いずれも解決するため、考え方の違いと言えばそれまでなのだが・・・。

同じ議論が、やはり公職の先生についてもなされている。質疑では、子ども教育のために先生を増やそう・・・との意見が示され、厳しい財政を抜きにすれば、これはこれで結構なことだが、どうも議論に労働問題がリンクしているように感じ、医師不足の問題と同様、違和感を覚えるのだ。子どもを盾にとは言わないまでも、本当は生徒が第一ではなく、教員の生活向上が第一に議論されていると思うのは私だけであろうか。

これを書くと事情通には「そうか」と思うだろうが、なぜか、警察官に関して長時間労働が議会において取り上げられたことが、私が県政に関わるようになってからないことを付け加えておく。

先生について、話を進める。もはや、死語になった感がある「でもしか教師」・・・これは、就職において、適当な仕事が見つからず、「教師“でも”なろうか」「教師“しか”なれない」といったように、好きでも希望するでもなく、教職に就いた先生のことを指す言葉だ。こうした人が先生になったところで、プロ意識を持つのは難しい(中には実際になったら天職だったという人もいるだろうが)と思われる。しかし、生徒にしてみれば、そんな先生が担任だとしたら、不幸だろう。

筆者の年齢から下の世代だと、先生になるのは狭き門であるため、「でもしか教師」はほとんど存在しないだろう。全体の世代でみると、その生き残りがいると思われる。失礼だが、「でもしか教師」を楽させるために、労働条件を議論してはならないし、そうした教師が存在できる時代は、はっきり言って終わった。

労働条件を議論するにしても、教員、医師、看護師・・・いずれの分野においても、意欲がありプロ意識を持って公に貢献しようとする人をサポートするように政策を進めるべきと強く思うのである。

私は、記者、政治家と、評価の基準として時間があってないような仕事しか就いたことがないので、「そんなお前にわかるはずがない」という批判があるかもしれない。しかし、公に奉仕する仕事であればあるほど、それが希望して就くという性質の仕事であればなおのこと、職責をいかに果たすかを第一に議論を進めるべきだろう。