【記者魂42】戦うためだけの候補者は擁立したくない

結局、最後は“タマ”なのだと思う。

これは選挙のことである。選ぶ側に選ばれる側、その2つを経験するだけではなく、ここにきて候補者を擁立する立場になって、“タマ”・・・つまり候補者の資質が大事ということを改めて感じた。

これは当たり前のことなのである。しかし、その当たり前のことが行われていないケースも少なくない。正直言って、わが党にもそんなケースがあったように思う。ゆえに、自分は責任を持って取り組みたいのだ。

実際に選挙になってみると、候補者の資質ではなく、その時のムードや所属政党をはじめ、他の要素で当落が決まったと思えるような事例が目立つ。特に、政党間でしのぎを削る衆議院選挙の小選挙区では顕著だ。良い候補であっても、風向きで厳しい結果になることがある。それでも、やっぱり最後は”タマ”なのだ。

風で1度は当選しても、本当に1度だけ・・・有権者を2度もだますことはできない。風が逆風に変わっても、資質のある候補者なら2度目もきっちり勝ち上がってくる。反対も、またしかり。最初の選挙がダメでも、“タマ”の良さが浸透すれば、次の選挙での雪辱が可能だ。初陣は落選、当選してから頭角を現し、大政治家になった例も多い。小泉元首相もそうだった。

最近、逆風の中、正直厳しいと思っていた候補者の応援に入った。政党間のいざこざもあり、迷いはゼロだったと書くと嘘になる。しかし、私の目からみて、また、実際に接して、心の底から良い”タマ”と思ったので、何とか勝って欲しいと最後まで応援した。結果は僅差ながらも勝利。もちろん、相手関係や地域の事情など諸々の要素が絡んでの結果だろう。しかし、「この候補なら託すことができる」と考えて1票を投じた有権者が多かったと私は思いたい。

先日、県内政界の最高実力者と呼ばれる方とお話する機会があったが、その方も「いろんな事情があって選挙に有利不利はあるんだろうが、最後は“タマ”だよ。有権者はしっかり見ているのだから」と指摘。わかっている人は、やっぱりわかっているのだ。

じゃあ、お前は?・・・となるのだろうが、それは有権者に判断を仰ぐ・・・となる。私は盆踊りをはじめ、時間が許す限り地元活動は怠らない。街頭活動も行う。しかし、最も大切なのは、県民のためにどれだけ役に立つことができるか、県の発展にどれだけ貢献できるか・・・そのための政治活動だ。それは実績だけではなく、将来をどう導いていくか、を常に考えることも含める。それが有権者に認められれば、私は良い“タマ”で、認められなければ、悪い“タマ”なのだろう。

国民のため、千葉県民のために、良い方向に導いてくれる政治家たる資質がある候補を選定、公認するのは政党の大切な責務である。「戦うためだけの候補者は擁立したくない」・・・今の自分の思いを記してみた。