【記者魂84】”古い証文”であっても行政は責任を持って!

2014年10月24日

本日まで九州方面を視察。その詳細は後ほど改めてこのブログに記すが、今日、見学をした福岡県内の国道3号バイパス建設の現場をみて、感じたことを記す。

住宅地を横断する形で進められているこの工事は、典型的な都市型プロジェクトと言っていい。事業化が決定してから供用開始まで時間を要し、その間、紆余曲折があるのは論を待たず、視察した3号バイパスもスタートが昭和43年、そして、完成予定は平成29年度と約半世紀に及ぶ気の遠くなるようなプロジェクトだ。

既に、部分的には開通しており、たまたま、今回の視察に同行したガイドさんがこの周辺に居住しているため、状況をヒアリングすると、部分開通によって3号や周辺道路の渋滞が緩和され便利になったという。地元では一刻も早い完成が待たれている状況だ。

私の地元、市川市内における外環もそうだが、都市部での道路建設は用地買収に困難であるほか、完成に近づくと今度は環境問題が浮上する。この工事に関しても、騒音対策などが課題になっている状況だ。そのため、防音壁の設置などを進めている。

こうした環境問題は決して無視することはできない。騒音の軽減に取り組むなど、周辺住民にいろいろ約束をした上で事業を進めるのが一般的で、このプロジェクトでも未完である事業区間においても騒音壁が随所に設置されている。

さて、この約束、行政は守るのは当然のこと。「便利になる」ということで、ある意味、住民に犠牲を強いる訳だが、どこかの国とは違って民主国家である日本において、犠牲を強いられた住民、広い意味では受け入れた自治体に対する約束は守られるべきなのである。

ところが、地元で進んでいるプロジェクトをみると、そうとは言い切れない。3号バイパスほどではないにせよ、事業スタートから時間が経過して約束が反古にされているのでは・・そう思う例が少なくない。10年、20年単位のスパンでは、事業の担当者はもちろん、首長も変わっているのが一般的であるが、人が変わろうが、事業をストップさせない以上、行政の継続性から約束は守らなけれればならない性質ものもである。責任を持つ必要があるのだ。

だが、たとえば、外環はどうだろう。市川市はこれを受け入れる第、9分類22項目を実行するという約束がなされた。ところが、中には実現のメドがまったく立たないものが少なくなく、これは住民感情から決して看過できるものではない。

もう1つ、約束事としては、いついつまでに完成という時間も含まれる。都市型プロジェクトにおいては、当初の完成メドほどアテにならないものはないが、地域住民にとって放置されることはたまったものではないのだ。

市川市内で具体的な話を1つ記すと、県道3・4・15号、地元では八幡中央通りと呼ばれる県道の拡幅工事があるが、ここでは通りに面した商店街が進まない工事に大きな迷惑というか、金額的にも損害を被っている状況にある。

事業のための収容が始まってから、商店会の加盟店は立ち退きなどによって120店から50店に減少。当然、その分会費の収入は減る。しかし、その一方で電気代の支払い額は変わらず、補助金を受けたところ赤字が発生してしまうのだ。加入店が減った一番の要因は立ち退きにあるのにも関わらず、当然、その分を行政が補償することはしない。

地元の商店会にしてみれば、「便利になるから」という行政の働きかけに応じながら、結果的にこの仕打ち。怒りの声が出ても当然だろう。もちろん、予算の制約があり、すべてに応えうるものではないながら、責任をきちっと取って、誠意あるところもみせるべきだと思う。時間を要するプロジェクトについて「古い証文を持ち出されても困る」・・などと行政は口が裂けても言うべきことではないのだ。


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