【記者魂129】敗戦記(1)・・市議になってやりたかったこと

2019年5月5日

 これまで自分のみならず、選対責任者として臨んだ候補者の選挙に関して、その都度総括したので、今回は立ち直れないくらいの惨敗を喫したからと言って、何も残さない訳にはいかないと思っている。冷静に振り返ることができるようになったここで敗戦記を記すことにした。

 最初に、県議選ではなく、なぜ市議選に鞍替えしたかについて記してみよう。

 ご承知の通り、私は8年前の県議選において、それまで勤めていたロイター通信を辞して立候補し当選、1期4年間、県会議員として働いた。所属政党は、みんなの党。「頑張っている人が報われる社会を築く」という私の政治信条にぴったりだったため、身を預けたのである。

 県議として政治家をスタートした訳だが、実は、当初、県議になろうと思った訳ではない。住んでいる市川で、解決すべき問題が多いと考え、みんなの党の地方議員候補の公募には「市川市議会議員」を希望したのだ。しかし、選考過程で面談を重ねるうち、県議選出馬を党から打診され、受け入れた経緯がある。市議選出馬はもともとしようと思っていたことなので、自分の中では不自然さはなかった。

 やりたかったことは、公約に列挙したが、その主なものを記すと、まず、市川市を中核市にしたいと思った。急速に高齢化が進む市川市──その将来を見越せば、福祉、医療などで市がフリーハンドに予算を組めるようにする必要があろう。お金がかかるというので目指さない方がいいという意見があるものの、財政的に余裕がある今なら可能と判断した。市長の暴言で注目された明石市は、全国的に子育て先進都市だが、その原動力になったのが中核市への昇格。この点は注目していい。

 このほか、県議時代から取り組んできた赤レンガの保存など、文化的な政策をいくつか考えたが、中核市と同様、これらは市の意見を集約して国ないし県に上げなければ実現しない。何事もそうだが、地元で何かを解決したい、制度を整えたい・・住民の声が上がって初めて、国や県が認めるもの。よって、市川市に根付いて活動すべきと判断したのである。

 4年前の県議選で落選し、県でやり残したことがたくさんあると思いつつも、落選後にいくつか携わった市民活動を通じて、市川市で取り組みたいと思うことが多々あるため、本人はいたってまじめ、志を抱いていたのである。ただ、志の高さと選挙活動はまったく別で、鞍替えの難しさについての認識が甘かったのは否めない。

 活動をまったくしなかった訳ではないながら、鞍替えに踏ん切りをつけて活動をスタートさせたのが遅かったのは反省点である。後述するように、選挙への準備不足、普段の活動不足が記録的とも言える敗北に繋がる要因の1つになったのは確かだった。

(続く)


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