【記者魂(2)】行き過ぎた自粛は考えもの

記者魂連日連夜の盆踊りである。

近所の自治会が行う盆踊りでは、知り合いが多く、選挙の時は“地盤”となることから、それこそ万難を排して出向く。地域の人と触れ合うチャンスでもあり、とにかく出席することが大切なのだ。

かりにバッティングする場合、義理を欠かない程度の時間だけでも、いずれも顔を出すように努力する。もっとも、盆踊りは町内会や自治会ごとに開催され、より大勢の人に楽しんで貰うために近隣であればスケジュールが重ならない。それゆえ毎夜、踊ることになる。

実は、連日連夜と書いたものの、今シーズンの場合、ここまで空きの日が多かった。今年は中止とした町会が多かったため。筆者の地元である市川では江戸川の花火大会が早々に中止と決定されたが、それに倣ったのかどうかは定かではないながら、震災の影響もあって自粛したようである。

近隣の盆踊りでは、子どもも連れて行くので、やれ何が食べたい、金魚すくいがしたい──せびられる場面が減るので助かる部分もあるが、地域の人々が集い楽しむ機会がなくなってしまうのは寂しい。例年通り開催した盆踊り会場で役員の方が「中止したところもあるようだが、こうして楽しまないと、地域は活性化しないよ」と語っていたのが印象的だった。

盆踊りの経済効果は1つ1つを考えると、小さなものかもしれない。しかし、至るところで自粛してしまえば、経済的な損失は大きくなるだろう。花火大会などのビッグイベントになれば、他からも人が訪れ“お金を落とす”ことになるので、より機会損失が大きくなりそうだ。

自粛することを決して悪いとは言わない。未曾有の大震災によって多くの尊い命が失われたため、自然の行為とみることができる。また、計画停電に対する備えや、節電という理由で中止したケースもあると思われるが、それも混乱を恐れてのことだろう。

しかし、大小さまざまなイベントが中止されることによって活気が失われ、経済的にもマイナスが生じるのも事実。今の時期の節電も行き過ぎれば、熱中症のリスクが大きくなるし、関東地方であれば、東京電力が今後支払うであろう巨額の賠償金の原資になる利益を減じさせることになる。

行き過ぎた自粛は考えもの。実際、竿灯、花笠など東北地方のメジャーなお祭りが開催されたのを見るに付け、本当にそう思う。千葉県では「がんばろう千葉」キャンペーンを実施しているが、このように自粛ムードを吹き飛ばすことが大切と言えそうだ。

(水野 文也記す)