【記者魂118】”保育園落ちた日本死ね”ブログは中間層の怒りを代弁?

※ハフィントンポストに以下のコラムが掲載されました。

もう旧聞に属することかもしれない「保育園落ちた日本死ね!!」のブログ。これについて、ネット上で流れる記事を読んで認識を新たにした。

その記事とは、実はこのブログの筆者、実は世帯所得が高いという点に触れたもの。「児童手当が数千円しか払えない」──この部分から、所得から”そもそも入園が困難”な世帯に該当するというのだ。ちなみに、私が読んだ記事には、名古屋市の例をとり、ブログの筆者は年収960万以上の世帯に該当すると推察している。

児童手当は、住んでいる自治体や家族構成によって事情が異なるものの、所得水準が低ければ、支払われる額は数千円ということは考えにくい。数千円という金額こそ、高収入の証し──例えば、私の地元なら、所得制限額以上の世帯に支払われる特例給付、児童1人あたり5000円に該当する額と思われる。

あくまでも事実ではなく、書いた内容からの推論ながら、ネット上では「高収入だから、贅沢を言うな!」と批判的な書き込みが多い。しかし、私はそのような批判をするつもりはなく、保育園問題とは別の意味で、このブログには重要なメッセージが込められていると感じた。

そう、収入に見合った税金を納めながら、いざと言う時、行政は自分に対して冷たい──これが、怒りの本質にあると思うのである。少子化問題だけで括るのではなく、税金を納めながら報われず、場合によっては不公平感を抱いている人がいる、そんな現実にも目を向ける必要があるのではないか。

かつてサラリーマン時代に強く感じたことだが、日本は大金持ちや低所得者に有利と思える制度が多く、それなりの税金を納める中間層は何かにつけ損をしている印象が強い。もちろん、子育てにはお金がかかるのは事実で、所得が低い人への支援は重要だが、頑張っている中間層にも、もっと目を向けて欲しいのだ。

「保育園落ちた日本死ね!!」のブログ──前述した推論が正しいのであれば、何かにつけて”損をしている”と感じている中間層の怒りを”代弁”したものと思えてならない。自分の政治姿勢でもある”頑張った人が報われるようにする”、そんな政策が必要と改めて思った。