【記者魂123】政治塾で学ぶということ

※ハフィントンポストに、以下のコラムが掲載されました。

小池百合子東京都知事が立ち上げた政治塾「希望の塾」が開講した。私は当事者でもないし、塾に申し込んだ訳でもなく、その内容、様子は知人に聞いた話や報道されたことしか知りえないが、相当の熱気に包まれたようである。

何しろ、応募した人だけでも4000人を超え、審査を通り塾生となって開講の日を迎えた人が2902人。中には、”小池人気”に便乗する形で政治の道に進もうとする人が多いと思われるが、それを別としても、これだけの数だけを捉えれば、政治に対する関心の高さを伺わせた。

この「希望の塾」で受講者は果たして、何を学ぼうとしているのだろうか。”小池人気”に便乗ということを記したが、政治塾において何を学ぶかということについて考えてみたい。

そもそも、政党ないしは政治団体が政治塾を開講する意味とは何か。実を言えば、私も議員になる前に、政党の地方組織が運営する政治塾に通った経験がある。そこでは、専門課程、一般過程の2つのコースがあり、専門課程は「政治家を目指す人に、必要な知識を学ぶ」、一般過程は主にその政党支持者向けに「政治について教養として学ぶ」というそれぞれの目的でコース分けされていたように思う。私は専門課程で学んだ。

「希望の塾」に関して、その位置付けは、私が通った政治塾で言えば、専門課程にあたることは論を待たないだろう。巷間、”小池新党”の母体になる可能性が指摘されるものの、報道によれば、受講者に対して事前に、選挙に立候補する意思、具体的な選挙の種類を問うアンケートを実施したとか。

これ一つとっても、候補者発掘、養成が目的にあることは容易に想像がつく。私が学んだ塾でも、優秀で意欲のある受講者は候補者として一本釣りされたし、かつて私が所属した政党が開講した政治塾からも、多くの議員が誕生した経緯がある。

そうは言っても、経験から語ると、すぐに政治の道が開けるかと言えば、そんなに甘いものではない。また、道が開けたとしても、そこからが大変なのだが、これについては本論から外れるので割愛する。

この政治塾から道を開こうとするのであれば、少なくとも、その政治信条というか政治的な立ち位置が、自らの考えが合致する必要があるだろう。少なくとも、主宰する側の考えに賛同しなければ、学ぶ意味は感じられない。

“小池人気”に便乗しよう──そうした考えで受講するのは論外で、小池知事もそうした受講を本意とは思っていないだろう。単に、都政(或いは他自治体)の刷新と考えるだけで受講するのはどうか。小池知事の政治経歴、政治信条も合わせて賛同することが、必須であると思うのだ。少なくとも、現段階で小池知事は都連と対立関係にありながらも自民党籍が残っており、この点も忘れてはならない。

なぜ、こんなことを記すかというと、民進党の蓮舫代表が「希望の塾」に関して、同党所属の地方議員が参加したことを容認したことを明らかにしたからだ。これは、どう考えてもおかしい。先の都知事選において、小池氏をNOとしジャーナリストの鳥越俊太郎氏を推したこととの整合性はどうなのか。直近の衆院選補選でも、知事の後継候補に対抗馬を立てた事実もある。

その真意は、民進党が不人気であるがゆえに、小池人気にあやかろうしてしているのか、それとも、所属地方議員に”箔”を付けさせ、選挙を優位に戦わせてあげようとする親心なのかわからない。しかし、政治家にとって大切な政治信条が異なる、それだけではなく敵対勢力の塾に通って、何を学ぶというのか、とんでもないことと思うのである。

政治塾で学ぶということは、それを主宰する政党、政治団体に身を委ねることに繋がるのだ。そうしたことを深く考えず、しっかりとした政治信条を持たずに、単に人気をアテにするだけの受講者などロクな政治家にならないと断じておきたい。

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